楽しいこと
昨日の夜、11時まで友人と喫茶店で話して別れた。
帰りの各駅停車の電車の中、充電の切れたスマートフォンを両手で握り締めながら、どこにも繋がっていない自分自身を感じていた。
ここ二、三週間、本が、特に小説が読めなくなっていて困っている。
僕にとって一番の趣味は読書で、休日に近所の喫茶店に出向いてコーヒー片手に物語の世界に浸るのが大好きだ。
本を開けばそこには物語があって、つまり他人の考えている世界がある。本を読まなければ、物語を摂取しなければ自分の世界は自分の思考だけになってしまうし、自分の思考はとてもつらいので、本を読むことは僕にとって、おおげさかもしれないけれど趣味以上の救いでもある。
けれど、最近その本が読めない。
本を読むためには、文字を羅列を自分の頭の中でいったん整理してそこからイメージを浮かび上がらせていくことが必要になるけれども、そのパワーが衰退していると強く感じるのだ。
読書が楽しい、と少し前のように感じることができない。
仕事がとてもつらいので、仕事がないときは出来るだけ楽しいことをしていたい。
仕事をしていていて、何かミスをしたりいやな気分になるたびに、自分の心の中にある不吉なギアがガッチャン、ガッチャンと音をたてて上がっていくのがわかる。頭の中に言葉が渦巻く。叫び出しそうになる。最近ではそれが限界にきていて、オフィスで必死に発狂をこらえながらキーボードを打っているんだけれど、それも無理になると、会社を休んでしまう。
だから会社を休んだ日や休日はできるだけ楽しいことをしようと、本を広げてみたり友達と会って話してみたりする。言わばそれは上がってしまったギアを必死に下げようと試みる行為なのだ。
でも、周りはそれを理解してくれているわけではない。
お前なあ、会社休んどるくせに友達とは会えるんか。ええご身分やなあ。そういう都合のいい子どもやったもんなお前は昔から。休む休む言うてな。お前は失敗作や。育て方があかんかった。
「うつ病患者はうつ病らしく、布団にくるまって唸ってればいいんだよ」という理屈と何が違うのだろう。
だから、僕は平常に生きるために、楽しいことを失いたくないと思う。本を読むこと、音楽を聴くこと、映画を観ること、その他もろもろ。
でも、近頃本を読むことができない。文字が頭に入ってこないし、ページがめくれてしまわないよう本を抑えている手に力が入らない。これは僕にとって喫緊の問題だ。
僕から本を取り上げてしまうつもりなんだろうか?
とても怖い。
頼むから、僕から楽しいことを奪わないでください。お願いします。