これまでのこと

とにかく「自分には才能がない」と思い続ける日々だ。

 

僕は大阪で働き始めて二年目で、もうすぐ三年目になる。

もともと根っからの文系で中高大と文化系の部活・サークルにしか所属してこなかった人間だけれども、体育会系が多いと言われる金融関係の会社で働いている。

一年目の時、会社の野球部に強制入部させられセカンドに配置となり、「おい、セカンド、球、体で止めろォ!」と怒鳴られ「ハァイ!!!!」と球を取りこぼした時、僕の意識は広がり、果てしない宇宙との繋がりを感じた。一年で野球部は辞めた。

僕には野球の才能がないのだ。

 

最初に配属された部署ではとにかく貯金を集めまくるという仕事をしていて、僕にもノルマが課せられていた。必死こいて一年間集めた結果、これは少し自慢させてほしいんだけれども、貯金の獲得件数が社内でトップになった。

嬉しかった。

けれども、その部署での上司と僕の折り合いが悪かったのが問題だった。上司は何かにつけて僕を彼の机の横に立たせて説教をした。毎日。あんまりにも毎日やるもんだから、社内でもあっという間に噂になってしまったほどだ。

上司は、僕の髪型によく文句をつけていた。僕は元来猫っ毛で髪が細いので、クセが付きやすい。そこに目をつけてしまわれたのだ。

あなたワックスとか付けてるの。いえ、付けてません。何で付けないの?何度かチャレンジしたんですけど、ワックスが効かないんです全然。それでも整えて来るのが社会人ってもんだろ、なあ?はい、すいません。すいませんじゃなくてさ、お前、整えろって言ってんの。はい、すいません。

そこで僕はこう考えた。今の髪質でワックスが効かないのならば、いっそ髪質を変えてしまえば。そうすれば身だしなみもより制御しやすくなるし、怒られなくても済むかもしれない。

僕はパーマをかけた。

ワックスはよく効くようになった。十数分をかけて髪型をセッティングし、会社に出勤した。

僕を見た上司は言った。「喧嘩売ってんの?」

社内トップの成績を取った、その期の僕の評価は「C」だった。

人事考課にはこう書かれている。「身だしなみについて、髪型のことを指摘してきたにも関わらず『寝ぐせ風パーマ』をかけるなどした行動は論外である」

上司はとにかく僕の行動を悪意的に解釈する人で、すべて悪い方向に、悪い方向にとられてしまう。僕のプラスの部分だった貯金実績をマイナスにするほどの低評価をその他の部分で付けられた。

僕は何を求められていたんだろう?

「マイペースは社会人の敵である」と上司は僕の考課に書いていた。

「社会人」ってなんだ?

 

部署は異動になった。でも、苦しい。

とにかく働くことが苦しい。

大人になれ、社会人になれ、と言われることが苦しくて苦しくてたまらない。

「才能がない」と声がする。「お前には社会人の才能がないんだ」

確かに、僕には社会人としての才能がないのかもしれない。仕事ではミスばかりだし、会社にはなじみ切れないし、仕事よりも絶対趣味の方が大事だし。

そういえば飲み会で趣味の話をしたところ、件の上司から「そんなことしてるやつで、仕事がうまくいってる奴見たことねえんだよ。やめろ、やめなきゃ今すぐここから追い出すぞ」と言われたこともあった。

才能がないのだ。それでもここで、この才能がないとわかっているフィールドで、努力して、努力して、あと四十年働き続けなければならないのか。

 

それでも少しの希望はある。

それは趣味である読書だったり、アニメだったり、映画だったり、音楽だったりする。

僕が大好きな映画『聲の形』のワンシーン。主人公の心象描写で、真っ暗な画面中央にぼんやりとしたごく小さな灯りがあたたかくともっていて、その中に人のような影がふたつ並んでいるように見える、という抽象的なカットがある。

あの灯り、あの灯りが僕の心の中にもともっているうちは、生きることをあきらめてはいけない、と今は思っている。

わずかでもいいのだ。この暮らしの中で、あの人影がふたつ並んでいるように見える小さな光を、僕の心の中から消してしまっては、見失ってしまってはいけないと思う。

 

明日からまた仕事がはじまる。

僕には才能がない。

けれども、あの心の中の小さな灯りは、まだある、と思えている。

だから、なんとかやってみるしかない、と思っているのだ。