強豪相手に引き分けたい――パク・ミンギュ『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』

 朝五時に起きる。身支度をして、六時には家を出て、六時十三分発の電車に乗って通勤途中で資格の勉強。七時にいつもの喫茶店に入って半熟目玉焼きのモーニングとアイスコーヒーを注文する。今日のノルマが終わるまで喫茶店でも勉強。終わったらモーニングを食べ終えて、煙草をふかし、アイスコーヒーを飲んで、バーチャルユーチューバー東雲めぐちゃんの朝配信を見る。八時二十分に出社。十七時半退社。家に帰ったらだらだらとツイッターやYoutubeの配信を見る。二十三時か零時には就寝。

 

 ここ半年ほど、日記というか、いわゆる「ブログ」というものを更新してこなかった。理由はいろいろとある、というか、ひとつしかないとも言える。文章を書く気力が起きなかったのだ。この半年間でいろいろあった。

 半年の間に、僕は会社を休職して、復職した。四か月間、会社を休んでいた。

 じわじわと真綿で首を絞められるように社会人としての生活が苦しくなっていって、二月の末に決定的なことが起こった。何があったか、詳しいことは以前の記事を参照してほしいのだけれど、不当な人事考課と、その人事考課を根拠にした人事からの過剰なパワハラ、それをきっかけに心の病をこじらせ、僕は会社に行けなくなってしまった。

 休職の日々は本当につらかった。と過去形に出来るほどまだ時間は経っていないのだけれど、本当につらいのだ。毎日外に出なくては本当に腐ってしまうと考えて、努めて外出するようにはしていたけれど、自宅と近所のドトールとの往復の日々になってしまう。何の目的意識も生活習慣もなく繰り返される泥のような日々の中で、僕はどんどんと沼に沈んでいくような心持だった。

 パク・ミンギュ『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』は、そんな休職期間の初日に買った本だった。「これから休みます」と会社を出てスーツ姿、死にそうな足取りで向かった梅田の丸善ジュンク堂書店でこんな惹句が僕の目を惹いた。

 

「一割二分五厘の勝率で僕は生きてきた。まさしく三美スーパースターズの野球だといえる」

 

三美スーパースターズ最後のファンクラブ』は、韓国のプロ野球界に実在した史上最弱チーム「三美スーパースターズ」の熱狂的なファンである少年が辿る人生の物語だ。「三美」はとにかく弱い。もともとあったプロ野球チームから寄せ集めで作られたチームだから、とにかく勝てない。十回戦って一回勝てるかどうかなのだ。それでも主人公は少年時代、「三美」を応援し続ける。そして徹底的に裏切られ続ける。それでも応援し続ける。

 これって要するに人生のことだ。

 僕たちの人生、どれだけ勝つことが出来るんだろう?そして僕たちはどれだけ負け続けてきたんだろう?これから負け続けていくんだろう?

 こんな文章が作中にある。

 

「平凡なチーム三美の最大の失敗は、プロの世界に飛び込んでいったことだ。(中略)大変なことだ。世の中はもうプロの世界になっており、平凡に生きていったらプロの世界では間違いなくビリなのだ。(中略)ああ、実にプロの世界とは恐ろしいものだと十六歳の僕は思った、じゃあ、平凡な人生にも届かない、そこからちょっと落ちる人たちは何位になるんだろう?それは野球でいえば放出だ、人生でいえば撤去または死。そんな人生は順位のうちに入らない。平凡な人生を生きてすら、目に土をすり込まれるほどの恥辱を味わうのがプロの世界なんだから」

 

 そう、僕たちはすでに「プロの世界」を生きているのだ。もしくは「プロの社会」。必死こいて、汗水垂らして、頭下げて、媚売って、いいスーツ着てんね、いい煙草吸ってんね、おいもっと頑張れよ、お前のせいで後ろが詰まってんのが分かんねえのか、何やってんだ前を見ろ、頑張れ、もっと頑張れ、もっともっと頑張れって言われて死ぬ気で頑張って、でも「まあいいんじゃない?」としか言われない、「プロの社会」。そんな過酷な社会で、僕たちは生きていけるんだろうか?

 その問いに対する優しい答えが、本作では提示されている。

 物語が進むにつれ、主人公は挫折を次々に経験する。それでもなお、主人公が最後に辿り着く境地には、希望の光がある。

 最弱なはずの「三美」の野球こそ、理想の野球、理想の人生だというのだ。

 「プロの社会」において、周りに合わせること、空気が読めること、とにかく頑張ること、が美徳とされる世の中において、「捕れなさそうな球は捕らない」、「打てなさそうな球は打たない」野球を徹底して行った「三美」のプレイスタイルこそ、現代で実践されるべき、理想の生き方だというのである。

 僕は、ぽろぽろと泣いてしまった。

 負けてもいいんだと思った。負けに負けが続いた人生でもいいんだと思った。

 作者のパク・ミンギュは『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』を、韓国の経済悪化で街にあふれたホームレスたちに捧げるために書いたという。

 負け続ける人生。なかなか勝てない人生。それでもその人生の中にも理想はある。

 そう思わせてくれたのが『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』だった。これを休職初日に買っていた、ということにもなにか運命めいたものを感じる。読了して、僕は底なしの沼から少し引き上げてもらったような気持ちになった。

 

 いま僕は復職して、部署も異動になり、勤務地も変わって、休職の原因になったものから少し遠ざかり、少し環境はましになっていると感じている。今のところ。

 復職できたきっかけはいろいろあると思う。本を読み漁ったこと。勉強を始めて資格試験に通って少し自信がついたこと。服にはまって街を歩くのが楽しくなったこと。バーチャルユーチューバーにはまって生きがいが出来たこと。『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』を読めたこと。

 これからどうなるのかはわからない。わからないけれど、結局やっていくしかないのだと今は思っている。自分なりの「野球」をやっていくしかないのだ。

 

 そういえば、『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』を読了してからしばらくして、ワールドカップの実況を自宅のテレビでなんの気もなしに見ていた。試合が終わって、実況が言った。

「日本、大健闘です!強豪相手に引き分けに持ち込みました!」

 この言葉を聞いて、とても素敵だな、と思った。

 「強豪相手に引き分けに持ち込みました」。そう出来たらどんなにいいことだろう。野田洋次郎が「『死んだら負け』 知るか黙れ 今さら勝つ気などあるかよボケ」と言っていたニュアンスほど投げやりじゃないけれど、今の僕には、なにかに勝つつもりはあまりない。でも、強豪相手に、自分よりはるかに格上のなにかに、それでも引き分けに持ち込めたらとても素敵だな、と、今は思えるようになっている。

 これを読んでくれている人はどうだろう、と思う。今日も自分よりも格上のなにかと、強豪と、「プロ社会」と戦っている人たちのことだ。

 みんなそんなに気張らなくても、本当はいいのかもしれない。勝率一割二分五厘の「三美」が最後までその「野球」を貫き通して消えていったように、僕も、みんなもそれぞれの「人生」を生きていったらいいんじゃないだろうか。

 「プロ社会」に負けてもいい。そしてこの強豪相手に引き分けられたら、最高だ。

 そんな気持ちで、これからの日々を生きていこうと思っている。

 そう思わせてくれた『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』に、文学に、読書に今とても感謝している。